所属している音訳ボランティアの団体では二か月に一度、「聞く雑誌」を作っています。その中の「まちかど情報」という10分くらいのコーナーをこれから1年間担当することになりました。せっかく原稿を作ったのでブログにも載せてみます。第一回目は今年のGWに訪れた栃木県那須郡の「水庭」を取り上げました。「聞く」ものと「読む」ものとでは文章が違うのでまだるっこしいですが、良かったら読んでみてください♪
第一回目の今日は、栃木県那須高原に2018年に誕生した「水庭」をご紹介します。水庭、とは大小160もの人口の池〈ビオトープ〉と、開発予定の土地から移植された318本の樹木でできた庭です。コケや飛び石でできた小道が池の周りを縫うように取り囲んでいます。私は今年のGW中に夫の母と私たち夫婦の3人で行ってきました。ちなみに移動は車で、宿泊はロッジに家族だけで泊まったのでご安心ください。
78歳の夫の母はとても元気で好奇心旺盛。この水庭についても母が雑誌かなにかで見たものを切り抜きにして持っていて、行きたい!というので行くことになりました。この水庭ツアー、広さは10分もあれば回れる程度、説明も10分程度でそのほかは自由散策。で一人参加費2970円。正直いって 高いな~とその時は思ってしまいましたが、今思うと決して身近にはない、不思議な空間でした。振り返ることでモトを取る狙いもありますけれど、街角情報として取り上げたいと思います。それでは水庭ツアーでもらったパンフレットも参考にしながらご紹介していきます。
那須は那須火山帯に属し、関東の北限、そして東北の南限にあたり、北方系植物と南方系植物とが混在する大変ユニークな地域です。大正15年には皇室の那須御用邸が作られ、ロイヤルリゾートとして広く知られるようになりました。昭和天皇が「那須の植物誌」を上梓されたように、この地は多くの植物が育つ豊かな自然の宝庫です。栃木県北部の90パーセントは中山間地域と呼ばれる地域に位置し、山林がそのほとんどを占め、土壌は火山灰土壌で耕作に適したまとまった平地がなく、水の問題には悩まされてきました。その中でも横沢、という地域は美しい渓流のある水の豊かな場所です。
この地に2006年、アートビオトープ那須という施設が誕生しました。アートビオトープ那須、というのはガラスや陶芸スタジオを併設した長期滞在型のカルチャーリゾートです。そこに隣接する土地に日本建築学会賞など多数の受賞歴を持つ話題の建築家、石上純也氏が手掛けた水庭が加わりました。水庭の敷地は、周囲の土地と同様に雑木が生い茂る里山でした。先人がこの里山を切り開いて水田にし、そのあとは牧草地として長く利用されてきました。森林、水田、牧草地というこの土地が積み重ねてきた歴史の記憶や周囲の環境を、木と水と苔というこの場所にもともと存在した素材を重ね合わせて表現するという水庭のコンセプトには、人の手によって開発された土地が長い時間をかけて再び自然に還っていくというプロセスを、人間の尺度に合わせて再びデザインしなおすことが意識されているそうです。
水庭の面積は16670平方メートル、阪神甲子園球場や東京ドームのグラウンドがすっぽり入るくらいの大きさです。ここに318本の樹木と、大小160のビオトープ、つまり人口の池が配置されています。池の深さは10センチから30センチ程度でのものが多く、雨上がりの水たまりの大きいのがたくさんある様子を想像してください。浅いところではたくさんのオタマジャクシが泳いでいるところが見えました。
池は奥に行くにしたがって大きくなり、最大で直径約35mです。そしてこの水たまりの周りを散策できるように飛び石が配置されています。この飛び石は一列に並んでいるところでは足元に意識を集中して地面の様子を見ながら歩くように、たくさん石が並んでいる歩きやすいところでは意識を周りに向けて状況を楽しめるように、「緊張と開放」という体の動きを考えて配置されています。
また、入り口からの飛び石の配置は、住宅の玄関から入り、玄関のアプローチを経て幅の狭い廊下を通り、広めの応接間につくといったイメージでされています。
飛び石に沿って歩いていくとだんだん植えられている木が大きくなり、池のサイズも大きくなっていきます。全体のスケールが大きくなるようにすることで、散策する人が開放的な気持ちになっていくことをイメージしているそうです。
沢に面した一角では春になると山藤やレンギョウ、雪柳などの花も見られ、一層の変化が楽しめます。聞こえてくる音は歩いていく中でだんだんと沢の音がおおきくなっていき、やがて木々の葉が擦れる音へ変化します。庭内にある木々、コケ、岩、水の音が時間の中で変化し、音楽のような形として立ち現れていくことを水庭の設計では強く意識したそうです。
私が水庭を見て一番印象に残ったのは、木でした。水庭には開発予定の土地に生えていた伐採予定の木、318本が移植されています。移植の際に通常行う大幅な枝打ちなどで木を痛めることなく、もとの姿のまま4年もかけて移植したそうです。高さは平均14~15メートル。すべて落葉樹でコナラ、イヌシデ、ブナが大半を占め、ところどころに山桜や楓が混ざっています。ちょうど新緑の芽吹きの時で本当に美しい木々ですが、眺めたときに木と木が重ならないように配置されているため、自然であって自然でない、何とも言えない不思議な空間を作り上げていました。
日本では平安時代にすでに「作庭記」という庭園に関する書物が著されています。そこでは庭とは厳しい自然の景観をそのまま再現するのではなく、自然を人間との関係に調和するようにして再構築するものとして考えられていました。つまり日本人にとって庭とは、人間と自然が共生するための特別な装置であり、デザインでありました。
森林から水田へ、そして牧草地へと人間の手によって開発されてきた自然を、再び人間の手によって戻していく。人間が関与することで初めて成立する自然、というものを水庭で表現していく。そしてそれは、那須という本物の豊かな自然の中にあるからこそ見えてくる表現だったんだ、と振り返って感じています。
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